2013年1月25日金曜日
非定型当事者に任せれば良い
定型発達は「この世に非定型発達はいない」と思っているし、
ずっと勘違いしたままでいたいのが本音だと思う。
考える機会があっても理解したくはないと思う。
今まで「これが正しい」と思ってた考え方が通用しないケースを
想定しなければならない面倒臭さは半端ないと思う。
しかも定型発達側へのメリットがあまりアピール出来る事がない。
非定型発達者が迎合して定型発達者のフリをすると、
バレない間は定型発達者はすぐ受け入れる。
やはり本当の事に気付くよりも、楽な勘違いしていたいのが人間か。
しかし非定型発達者が定型発達者のフリをするとストレスが溜まる。
言わば「左利きなのに右手で作業するようなもの」だから。
「非定型発達者に定型発達者のルールを押し付けて誰得なのか?」と思うのだが、
それが何故上手くいかないのか、定型社会は把握出来ていない。
社会のルールは「非定型発達者」という存在を端から想定していない。
とは言え定型発達者が発達障害を理解するのは難しい。
もっと負担が少なく効率的なやり方がある。
非定型当事者に任せれば良いという事。
簡単な物理的援助だけで済む。後はこっちで何とかする。
定型発達社会に
非定型発達が居る事自体が「誰得状態」に他ならない。
定型発達者にとっては厄介な不安要素だし、
非定型発達者にとっては地獄のような罰ゲームだ。
適材適所を生み出せばwin-winな結果を出せる。
でもそれが出来ないのは、
定型発達者は非定型当事者を理解しないから。
当事者は障害者だと思い込み過ぎて無気力になっているから。
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