2012年11月22日木曜日

発達障害への支援について

発達障害をどう理解して、どう支援していけばいいか?について。

まず発達障害ではない人を定型発達と呼びます。
なので発達障害は、非定型発達者と呼ぶ事もできます。

定型発達者と非定型発達者という考え方。
これは脳の発達の仕方に多数派と少数派がいるという事です。

例えば十人に一人の割合で少数派の左利きがいるように、
十人に一人の割合で非定型発達者がいると考えれば分かり易いと思います。

発達障害も要は脳の発達における少数派に過ぎないのではないか?と考えます。

もし発達障害が治せるとしても、
「治したいか?」と問われれば、治したいとは思いません。
自分自身に不都合を感じる事はないからです。
不都合を感じるのは人間関係であり、
自分と社会との間に発生する「通じ合えない」という障壁です。

「まさにそれこそ自身の障害ではないか」と思われるかもしれませんが、
この問題は、右利きと左利きが握手をするような話だと思います。
握手が上手くいかないからと言って、左利きが一方的に悪いとは言えません。

非定型発達の考え方は少数派ですが、「間違い」ではありません。
考え方が定型発達とは「違う」だけです。

ところが社会は定型発達の考え方が前提で設計されます。
非定型発達という人達が存在している事は想定していません。

社会は非定型発達の在り方を障害と見做して、定型発達へ矯正しようとします。
そこで初めて、当事者は生辛さの壁に当たり「障害者」になるわけです。

これも左利きの矯正を想像してもらえば解ると思いますが、
無理な矯正は二次障害をもたらします。

「非定型を定型に矯正しようとするから不都合が生じる」

そう考えてみると発達障害の問題は意外と単純ではないでしょうか?
社会はこの問題に対して複雑な理解を要求されているのではなく、
極当然の結果として受け止めればいいと思います。

ではこれから発達障害の当事者をどのように支援をしていけばいいか?
社会に理解を呼びかける事も必要だと思いますが、
「理解できない人とは、距離を取る必要がある」と考えています。

非定型発達が中心の社会を作るべきだと思います。
「社会とは何か?」と考えた時、結局は「人の集まり」ですから、
非定型の当事者同士を繋いでいけば社会は作れます。

そうすることで当事者が最も力を発揮できる環境が自然と作られます。
そのための場所、インフラの確保が最大の支援になると考えます。